オンリー・イエスタデイ 10「秘密」

 小学5年生に上がるときのクラス替えでは、またもAとは別のクラスになった。

 私はほかに親しい友だちができ、Aのことはあまり意識しなくなった。しかし、どういうわけか、性的な記憶に関してはAの影がチラついていたように思う。

 そのころ、家に「原色百科事典」全8巻があり、名画がカラーで掲載されていた。そこにはゴヤの「裸のマハ」などもあり、密かに見てはコーフンしていた。

 裸婦を見てコーフンするのはふつうだろうが、そのころ、思いもかけないことで、居ても立ってもいられないほど激しく刺激されたことがある。

 小学校の近くに、コンクリートの塀に囲まれた空き家があり、刑務所のように中がまったく見えなかった。あるとき、背の高い友人が踏み台を持ってきて、塀の中をのぞいた。家は取り壊されていて、草が生い茂っていたが、庭らしいところに野外用の椅子とテーブルが置いてあった。陶器製の豪華なもので、中国の壺のような模様が描かれていた。それだけで、ここがもともとは金持ちの家だったことがうかがわれた。

 私たちは塀の裂け目を見つけて中に忍び込み、敷地内を探検した。空が曇っていて、今にも雨が降りだしそうだった。見えるのは空と塀と雑草だけで、そこはふだんの生活から完全に孤絶した異空間だった。秘密の場所、禁断の世界でもあった。

 そのときは、なんとなく淫靡な気持を抱いただけで帰った。

 後日、いっしょに忍び込んだ友人がこんなことを言った。

「またあそこに忍び込んだら、幼稚園くらいの男の子が2人おって、変なことをして遊んでたんや」

 年長の男の子が自分より小さい子を裸にして、陶器製の丸いテーブルの上に寝かせ、オチンチンの包皮を剝いて、尿道に小石を入れたり、アリを入れたりしたというのだ。

「なんでそんなことをしてたん」

「知らん」

「ほんで、どうなったん」

「男の子のチンチンが勃ったんや」

「ほんで?」

「小石は取ったけど、アリはそのままにしてた」

 友人は照れ臭そうに笑い、かすかに頬を赤らめた。彼がどう感じていたのかはわからないが、私は激しくコーフンした。

 小さな男の子の尿道に、生きたまま入れられたアリはどうなったのか。勃起した小さなペニスの先端から、アリが出たり入ったりするところが思い浮かび、私はぜひそれを見たいと思った。

 友人がそれを見たのは放課後だったというので、私は同じ時間にひとりで塀の中に忍び込んだ。そこには陶器製の椅子とテーブルがあるだけで、しばらく待ったが、小さな男の子は現れなかった。

 涼しい風が吹き、空はどんより曇り、まわりを高い塀に囲まれた秘密の領域があるばかりだった。私は衣服をすべて脱ぎ、下着も取り、靴も靴下も脱いで、陶器製のテーブルに寝そべり、仰向けになって、自分の性器にアリを這わせる場面を想像した。アリは屹立したピンク色の小山を這いまわり、やがて巣穴を見つけ、もぐり込む……

 実際にそうしたわけではない。理性ではなく、恐怖が止めたのだと思う。魅了する力と、底知れない世界に落ちていく恐怖。後者にバランスが傾いたのは幸いだった。

 この衝動は、いわゆる小児性愛と呼ばれるものだろうか。私にそんな性癖があったのか。しかし、以後、少年や少女に官能を感じたことはない。あれは11歳だった私の胸に、偶発的に湧き上がった衝動だったのか。

 このエピソードにAは登場しない。しかし、私はふと思う。彼ならもっと残酷なことをしたのではないか。

 Aにはそう感じさせる早熟、冷酷、淫靡なイメージが小学生のころからあった。

(つづく)

 

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