オンリー・イエスタデイ 11「アイドル」

 小学56年生のときは、Aとクラスが別だったので、いっしょに遊んだ記憶はほとんどない。ただ、ときどき彼の特異な感覚に驚かされることはあった。

 クラスにかわいい顔の男子がいて、担任の先生が「美少年」だと言った。すると、それを聞きつけたAはこう言った。

「たしかに美少年やな。チ・美少年。チビ少年や」

 その男子はクラスで二番目に背が低かった。

 そのころ、三角ベースという遊びが流行っていて、ちがうクラスの者ともいっしょにやった。1塁と2塁しかない野球で、バットの代わりにグーにした手でボールを打つ。ボールは安価なゴムボールで、「てい球」と呼んでいた。Aはボールを打ち損じると、「てい球」の前に「最」をつけて、「最低球」と言ったりした。

 ふだん使っている言葉に、Aが1文字つけ加えるだけで、ガラリと意味が変わることに私は感心した。そういうセンスを持った子どもは、ほかにいなかった。

 当時、グループサウンズが流行っていて、私たちはそれぞれ自分のアイドルを決めて、雑誌を切り抜いたり、ブロマイドを集めたりした。はじめに人気があったのは、ザ・スパイダースとブルー・コメッツで、そのあとにザ・タイガースが登場し、ザ・テンプターズ、ザ・ワイルドワンズ、ザ・ジャガーズ、ヴィレッジ・シンガーズなどが続いた。

 私の最初のアイドルは、当時マチャアキと呼ばれていた堺正章で、次にジュリーが好きになり、やがてショーケンへと移った。気恥ずかしくなるような一番人気好きだが、12歳前後の少年の好みは、みんな似たようなものだった。

 ところが、Aが「いい」と言ったのは、ザ・テンプターズのドラムス、大口広司だった。

 もちろん、大口のことは私も知っていた。人気グループのメンバーだから、テレビや雑誌でもよく見かけたが、大口はいつも後ろで演奏しているので目立たず、ヴォーカルを取るでも、テレビでおもしろいことを言うでもなかった。レコードジャケットの写真も、ハンサムとか甘いマスクからはほど遠く、むしろ奇怪だった(受け口で顔が大きく、バタ臭い陰気な風貌で、長髪のフランケンシュタインという感じだった)。

 つまり、アイドルに選ぶ要素がどこにも見当たらないのだ。その大口広司をアイドルにしたAのセンスに、私は奇異なものを感じた。私を含む幼稚な連中には、まったく理解できない感覚だった。

 Aは奇をてらって大口をアイドルにしたのではなかったはずだ。ほんとうに大口に魅力を感じ、同時に私のように一番人気をアイドルにする低俗さを嫌悪し、暗に見下していたのだと思う。

 Aの見識を改めて認識したのは、グループサウンズが衰退したあと、最後のあがきのように人気グループの錚々たるメンバーが集まって、PYGというグループができたときだ。

 PYGはヴォーカルがジュリーとショーケン、リードギターに井上堯之、ベースは岸部おさみ(現・一徳)、キーボードに大野克夫というスーパーグループで、そのドラムスが大口広司だった。PYGに加入するということは、ドラマーとして一流だと思わざるを得ない。そのとき私は高校1年生で、Aのアイドルを思い出し、改めてその慧眼に驚いたのだった。

(つづく)

 

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