オンリー・イエスタデイ 22「嘘つき」

 私はAのグループとは距離を保ちながらも、Aのことを常に意識していた。

 下校の途中、道端にある駄菓子屋で、私がコーラを飲んでいると、Aのグループが店に入ってきた。だれかがグレープ味のチェリオを買い、Aが「それ、うまいか」と訊ねた。

 相手が「うまいよ」と答えるとAも買い、瓶のまま口飲みをした。ところが、ひと口飲むと、彼は「ゲッ、まずい」と言い、瓶を逆さに向けて、どぎつい紫色のジュースを道にぶちまけはじめた。瓶の口が小さいので、すぐ空にならないことに苛立ち、Aは瓶を力任せに左右に振った。

 中学生のときもそうだったが、Aは怒りの発作に駆られると、全身に力が入りすぎて動きがぎこちなくなる。このときもそうで、乱暴に瓶を振りながら、肩や脚が突っ張って、ロボットのようだった。顔は怒りで蒼白になり、本気で怒っているのが明らかで、とても他人が止めたり宥めたりできる状態ではなかった。

 そのころの私は、食べ物を粗末にしてはいけないという親の教えを守っていたので、いくらまずいからといって、まだ飲めるものを路上に撒くという行為に、ひどく荒んだものを感じた。

 ほかにも下校のときにこんな場面を見た。

 Aのグループが私の前を歩いていたとき、どういうわけか、幼稚園くらいの子どもが彼らにまとわりついた。みんなは笑っていたが、Aは不愉快そうだった。子どもがAのズボンをつかんだとき、彼はいきなり子どもの頭を思い切り殴りつけた。まるで、ゴルゴ13が背後に忍び寄った相手を殴り倒すときのような反射的な殴打だった。子どもは一瞬、何が起こったのかわからないように身をすくめ、すぐ火が着いたように泣きだした。グループのメンバーも驚いたようすで、逃げるようにその場を離れた。

 当時のAは根っからの子ども嫌いで、電車の中でかわいらしい欧米人の子どもがいたときも、怒りを込めた表情でにらみ続けた。色白で金髪にブルーの目をした5歳くらいの子どもだった。あとで聞くと、「怖い顔でにらみつけたら、外国人らしく、horrible! とか言うと面白いと思って」と言っていた。

 ニヒリスティックで、たいていのことを否定的に見ていたAだが、ときに意外なものを肯定することがあった。Aと同じクラスのイノという、勉強はできるがやや発達障害的な生徒がいて、クラス会のときに「何にも心を奪われず、自由奔放に生きたい」と発言したらしい。Aはそのことを、「ほんまに自由奔放そうや」と賞讃していた。イノは高校1年生の時点で、まだ自慰を知らない珍しい生徒だったが、そのこともAは好意的に捉えていた。

 Aが私をどう判断していたのか。そのことに関してショックを受けたことがある。

 下校の途中、バス停でAのグループといっしょになったとき、私は父から聞いた話をした。人間の限界に挑戦する内容で、自転車で新幹線より速く走る人がいるというのだ。

 そのことを話すと、Aはグループのメンバーに向かってこう言った。

「な、こいつ、嘘ばっかり言うやろ」

 私は父から聞いた話をそのまま口にしただけで、嘘をつくつもりは毛頭なかった。父はそれをテレビで見たと言っていた。しかし、常識で考えれば、自転車で新幹線より速く走れる者がいるわけがない。私は弁解することもできず、ただ、Aに嘘つきの常習犯のように言われたことに悲しい衝撃を受けていた。そうか、Aは私を嘘つきだと見なしていたのか。そう思うと、情けなかった。

 それ以後、私はAの前だけでなく、ちょっとした軽口でも、嘘と思われることは口にしないよう注意するようになった。

(つづく)

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