オンリー・イエスタデイ36「クラブへの復帰」

 人間のあらゆる行動が、欲に端を発しているという意味で、すべて同等であるとわかると、世の中がまるでちがって見えた。

 刻苦勉励も自己犠牲も謹厳実直も、何ら貴いものではなくなったし、怠惰も狡知もエゴイズムも、特に忌避すべきものとは思えなくなった。すべては欲に対する感情的な反応にすぎないからだ。

 要するに、私は言葉に敏感になっていたのだ。

  私がもっとも嫌悪したのは、自分に都合のいい線引きだった。今でもそうだが、多くの人が無意識にそれをしている。たとえば、「排他主義はよくない」とか、「多様性を受け入れるべきだ」と言う人は、「排他主義」を「多様性」から排除している。「同性愛者を容認すべきだ」と言う人は、「生理的に同性愛者を受け入れられない人」を容認していない。「自分の意見を他人に押しつけてはいけない」と言う人は、その意見を他人に押しつけているし、「他人を批判するのはよくない」と言う人は、無意識に他人を批判する人を批判している。

 デカルトの「方法序説」=「すべては疑い得る。疑い得ないのは疑う自己の存在のみ」からも強い影響を受けていた。まじめに努力することの無駄、偉くなることの虚しさ、名前を残すことの無意味さも、しっかりと腑に落ちた(水木サンの言葉、「名まえなんて、一万年もすればだいたい消えてしまうものだ」も、もちろん胸に浮かんだ)。

 この極端な考えは、単に目の前の勉強のつらさから逃避するための理屈だったのかもしれない。しかし、このドグマのおかげで、私は心置きなく勉強をサボり、何の後ろめたさもなく好きなことができるようになった。

 といっても、ありふれた非行に走ったわけではない。そんなものは私には必要がなかった。高校2年の2学期になって、最初にしたのはサッカー部への復帰だった。

 高校1年の3学期にクラブをやめたあと、ある雨の日、グラウンドが使えないサッカー部の部員が、階段の踊り場で筋トレをしていた。帰宅する私が通りかかると、何人かが罵声を浴びせた。

「根性なし!」「あかんたれ!」「卑怯者!」

 私は聞くに堪えず、逃げるようにしてその場を去った。

 夏休みに、勉強に疲れた私は、気晴らしに自転車で散歩に出かけた。無意識のうちに高校に向かい、グラウンドに入ると、サッカー部が練習をしていた。私はまた罵られることを恐れ、遠くから見ていた。しばらくすると、こちらにボールが転がってきて、以前、仲の良かったタニナカがそれを取りに来た。すぐそばまで来たので、私ははにかみながら声をかけた。

「よう」

 タニナカなら罵らないだろうと思ったからだ。ところが、彼は私を完全に無視して、ボールだけ取ると、さっと背を向けてしまった。

 ああ、彼にも嫌われているのか。

 落胆した瞬間、タニナカは2、3歩走ってから振り向き、「嘘、嘘」と笑った。私をからかって、無視する芝居をしたのだ。そして、ボールを持ったまま近づいてきて、「何してるん」と聞いた。

「自転車で散歩に来てん」

「へえ」

 それだけの短いやり取りだったが、嬉しかった。私はまだ完全に拒絶されているわけではない。そう思えたので、2学期がはじまってすぐ、キャプテンの同級生に、復帰したいと伝えた。彼は私に罵声を浴びせた1人だったが、何のわだかまりもなく復帰を認めてくれた。それだけでなく、すぐ元のポジションで試合にも起用してくれた。ほかの部員も歓迎してくれ、下級生もすんなりと受け入れてくれた。

 ポジションはセンターフォワードだったが、下級生にうまい部員がいたので、私はレギュラーではなく、サブにまわった。いったんケツを割った者としては、そのほうが気が楽だった。

 クラブに復帰して、私は一気に明るくなった。友だちとふざけあい、バカ話に興じ、練習が終わったあとも、寄り道をして無為な時間をすごした。

 そんな私を、Aはどう見ていたのか。哲学的で孤高の彼の目には、クラブへの復帰は堕落と映ったかもしれない。しかし、私にはドグマがあったので、気にしなかった。

 以前の彼なら、さっさと私を見捨てただろう。ところが、Aに奇妙な変化が現れた。私に得体のしれない敬意を払いはじめたのだ。

 彼に私のドグマを話したわけでもないのに、このころからAが私に異様に気を遣いはじめた。かつて「いいものをやる」と言って唾を吐いたり、雨に濡れた廊下で転倒させたり、友だちに「嘘つきやろ」と私を誹謗したAからは、考えられないことだった。

(つづく)

→公認サイト「久坂部羊のお仕事。」へ戻る