8月にはエッちゃんの誕生日があった。私はベージュのバギーパンツ濃紺の長袖Tシャツ(バギーパンツに半袖は合わないので)という出で立ちで、酷暑に耐えつつ、待ち合わせの駅に行った。エッちゃんは黄色のポロシャツに灰色のミニスカートだった。
難波から地下鉄で梅田に出て、阪急ファイブ(現HEP FIVE)に行き、1階から5階までをウロウロと歩いた。相変わらず喫茶店に入るのを拒むので、歩きまわるしかなく、しかも彼女はほとんどしゃべらないので、会話は盛り上がらず、時間を持てあまして仕方がなかった。
2時間ほど歩いて、帰りの地下鉄で誕生日のプレゼントを渡した。髙島屋で買ったガラスケース入りのブラジル産の蝶の標本で、羽がきれいなコバルトブルーだった。
バースデーカードにはこんなふうに書いた。
『ひらひらとチョウチョのように僕の心に飛び込んできた君。どうかいつまでも飛び立たないで』
赤面の至りである。
この恥ずかしいメッセージを、彼女はどう受け取ったのか。わからない。何とも答えようがなかったのかもしれないが、反応がないのは私には煉獄の苦しみだった。
夏休みのため学校で出会うことはあり得ず、誕生日が終わるともう会う口実も見つけられず、私は想いを募らせるばかりで、悶々としながら高校3年生の夏の日をすごした。
ようやく2学期になり、何度かエッちゃんと顔を合わせたが、うつむいていたり、目を合わそうとしなかったりで、彼女が私のことをどう思っているのか、次第にわからなくなってきた。もし、私を好きでないのなら、付き合いを続けることは不可能だった。それは彼女にとって迷惑なことであり、私自身、好かれてもいないのに近づくことは許されないと思っていた。
しかし、私の恋心は高まる一方で、もしも彼女を別れなければならないなら、この世の終わりのように絶望しそうだった。
悩んでいても苦しいばかりなので、思い切って手紙を書くことにした。私のことが好きなのかどうか。もちろんストレートに聞くことはできない。そこでこんなふうに書いた。
『僕は今、暗闇の部屋に座っています。目の前にテーブルがあり、皿が置いてあります。その皿にはドーナツが載っていると僕は信じています。でも、ほんとうにドーナツはあるのでしょうか。暗闇なので見えないのです』
暗闇は私の心、ドーナツは彼女の好意をシンボライズしたつもりだ。しかし、相手にとっては意味不明だったろう。返事は来なかった。
仕方がないので、次の手紙で彼女に放課後、教室に残っていてほしいと頼んだ。指定した日に時間を見計らって1年生の教室に行くと、彼女だけがぽつんと座っていた。私は身体が溶けそうなくらい安堵し、教室に入って話をした。もちろん、好意を確かめるようなことは話せず、他愛のない雑談しかできなかった。
その日は雨が降っていて、会話が途切れたとき、「雨の日は好き?」と聞くと、「好き」とはっきり答えたのが、好意の証のように思えた。前に「僕は屈託のない笑顔とか、晴れの日は大嫌いです」と、手紙に書いていたからだ。互いに通じるものを感じて、それだけで私の不安は解消された。
しかし、その後もエッちゃんとの付き合いには悩まされた。私の家に招こうとすると、「困ります」と断られ、「写真がほしい」と頼むと、5歳くらいのときのをくれ、私にも「子どものころの写真をください」と、返事してきた。学校で出会っても、相変わらず下を向いていたり、友だちの後ろに隠れるようにしたりした。恥ずかしかったのだろうが、私は好意が薄れたのではと不安になり、しつこく確かめると嫌がられそうにも思い、ひとり身悶えする日が続いた。
私は少しでも自然な形で彼女に会う機会を作りたくて、当時、友だちと愛読していたピーナツコミックスの『負けるな!チャーリー・ブラウン』というマンガを、エッちゃんに貸すことにした。そうすれば、返してもらうときにも会える。エッちゃんは毎朝かなり早い時間に登校していたから、私も早朝に登校し、彼女の教室に行った。ほかにも何人か生徒がいたが、私はかまわず教室に入り、「これ、おもしろいから」と言って、彼女に手渡した。
マンガはしばらくして返してくれたが、あとで1年生の間で妙な噂が立った。
──この前、3年のKさんが朝にいきなり教室に現れて、「これを読みなさい」と、ハタバにむずかしい哲学書を手渡していったぞ。
スヌーピーのマンガが哲学書とは恐れ入るが、1年生にはそう見えるほど、私は深刻な顔をしていたのかもしれない。
(つづく)