オンリー・イエスタデイ 3「才能」

 Aは抜群に絵がうまく、私はそれよりかなり劣ってはいたが、クラスで2番目に絵がうまいとされていた。

 小学校2年のとき、「いなばの白うさぎ」の劇をすることになり、クラスを二つに分けてそれぞれに配役が決まった。Aと私は別のグループで、たまたま同じ「兄神4」という役を割り振られた。

 劇では役の顔を画用紙に描いて、頭に巻きつけて演じることになっていた。兄神4は白うさぎをいじめる悪役で、私はどんな顔に描けばいいのか想像できず、そっとAの絵を見に行った。彼はすでに輪郭を描き上げ、色を塗りはじめていた。三白眼のしかめ面で、強烈に悪い男の顔だった。一瞬見ただけだが、その顔はくっきりと記憶に残り、私はそれとそっくりの顔を描いた。

 できあがったあと、私は何食わぬ顔で、Aに「同じ役やから同じような顔やな」と言った。盗み見したことにAが気づいていないと思ったからだ。だれが見ても私が真似たのは明らかだった。なのにAは怒りもせず、ただ蔑みを込めて、フフンと冷笑しただけだった。圧倒的な格のちがいを見せつけられたようで、私は自分が惨めになった。

 また別のとき、国語の教科書に熊の出てくる劇があり、小道具を描いてくる宿題が出た。私は熊が獲ってくるサケを描こうと思い立ち、Aに負けまいと図鑑を見ながら必死に描いた。実物に近い大きさで、ウロコの輝きを表すために紫や緑のクレヨンを使い、勢いよく跳ねる姿まで模して、食事も忘れるほど熱中して描いた。母も感心するほどの出来映えになり、翌日、きれいに切り抜いて意気揚々と学校に持って行った。

 先生をはじめ、クラスのみんなが感心した。私は鼻高々だったが、Aは私の絵に見て見ぬふりをした。彼が描いてきたのは熊がオヤツに食べる数個のドーナツで、形も色もおざなりな上に、画用紙から切り抜いてもいなかった。やる気のないのが一目瞭然だった。

 ──こんなことに一生懸命になれるか。

 そう言われているようで、私の鼻高々の喜びははかなく霧散した。

 そのころ堺市には「はとぶえ」という児童の詩誌があり、表紙の絵を市内の児童から募集していた。担任の先生がAと私に、クラスの代表として応募するように指名した。

家に帰ってそのことを告げると、母は名誉と感じたのか、いい絵を描かそうと口うるさくアドバイスをした。私が好きだったロボットの絵を描けと言い、もっと大きく描けとか、正面向きにしろとか、いろいろ注文をつけた。おかげで私はすっかり嫌気がさし、うまく描けなかった。翌日、学校へ持って行ったが、先生もこれではダメだという顔をした。

 Aが描いてきたのはボーリング場の絵だった。ボールを投げている人がいて、背景のレーンが遠近法でリアルに描かれていた。しかし、全体にクレヨンで色が塗ってあり、とても「はとぶえ」の表紙になりそうな絵ではなかった。それまで採用されていたのは、鉛筆やペンで描いた人物や静物の線画だったからだ。私でもわかるのに、なぜAはそんな規格外れの絵を描いたのか。

 担任はAの絵にもダメ出しをして、「いつもおまえが描いてるような絵でいいんや」と、新しい画用紙を渡してその場で描かせた。Aはそこにミッキーマウスやドナルドダックを描いた。本物そっくりだったが、そんな漫画を写したような絵など、採用されるわけがない。先生は結局、クラスからの応募をあきらめたようだった。

 後年も、Aは似たような過ちを何度か繰り返した。抜群の才能を持ちながら、不適切にしか発揮できない。私はそれを横で見ながら、いつも惜しいと思っていた。小説に対する感受性や発想も、私など足元にも及ばない特異性を持ちながら、一行も書こうとしない。

 彼の不思議な個性が、才能の発露を妨げているのだった。

(つづく)

 

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