オンリー・イエスタデイ 4「Aの涙」

 はじめてAの家に行ったとき(最初に書いた唾を吐かれたとき)、彼は近道をすると言って、路面電車の線路沿いにある倉庫の隙間を通った。線路を隔てる枕木の柵と、倉庫の間に鉄条網が張ってあり、その下のわずかな隙間をくぐることができたのだ。唾を吐かれてひとり帰るとき、方向音痴の私は別の道を通るすべを知らず、鉄条網に引っかからないよう注意しながら、四つ這いになって同じ近道をくぐり抜けた。

 次にAの家に行ったのは、ある雨の日の午後だった。学校で遊ぶ約束をしてから、いったん家に帰り、ランドセルを置いて彼の家に向かった。近道しか知らないので、また鉄条網の下をくぐったが、裂け目が狭いので傘を畳まねばならず、地面も濡れていて手の平が泥だらけになった。それでもAと遊べることが楽しみで、手の汚れくらいは平気だった。

 ところが、Aの家に着いて名前を呼ぶと、不機嫌そうな母親が出てきて、「今日は勉強をしないといけないから、遊べない」と言われた。

 私は学校での約束を言い出せず、そのまま帰るしかなかった。近道を通るとき、雨が強くなっていたが傘をさすことができず、手も足も泥だらけになって悲しかった。Aがこのとき、母親に何と言っていたのかはわからない。

 Aは私に漫画の描き方を教えてくれることもあった。ミッキーマウスを描くときは、まず丸を三つ描くのだと教えてくれ、いともたやすく正円を描いた。私にはそれができなかった。何とか描いても、肝心の目や口の描き方は教えてくれなかった。Aはそういう意地悪をときどきした。

 私は耐えるしかなかったが、別の機会に、自分より下手な子に絵を教えるとき、似たような意地悪をした。差別や虐待の報復は、常により弱い者へと向けられる。

 Aの家で絵を教えてもらっていたとき、途中でAは私を無視して、別の遊びをはじめた。私は絵も描けず、ほかにすることもなく、惨めな気分になった。すると、たまたま家にいたAの父親が出てきて、Aの代わりに絵を教えてくれた。嬉しかった。人の親切を実感したのは、このときがはじめてだったかもしれない。

 Aは常に私より優位に立っていたが、一度だけ弱みを見せたことがある。

 彼の出身幼稚園の園庭で、鬼ごっこをしていたときのことだ。Aが鬼で、彼は私を追いかけ、タッチをしたと言った。私はうまく身をかわしたと思っていたので、タッチされていないと言い張った。

「ずるいぞ。デンしたやろ」

「いいや。触ってない」

 言い合いになったとき、ほかの友だちが私の味方をして、Aに鬼を続けるよう言った。すると彼はふいに両手で顔を覆い、声を上げて泣き出したのだ。何か捨てゼリフのようなことを言って、そのまま帰ってしまった。ふだんあれほど強気なのに、Aでも泣くことがあるのかと私は驚いた。そのとき、例の近道とは逆の方向に歩いていったので、彼の家は幼稚園の前を逆に通れば行けるのだなとわかった。

 雨の日に追い返されて以来、私は近道を通ることがいやだったので、ふつうの帰り道を教えてくれとAに頼んでいた。しかし、彼は応じなかった。私が近道を通るのをいやがっているのを知った上での意地悪だった。だから、Aが鬼ごっこから泣いて帰った数日後、私が近道を通らずに遊びに行くと、彼は驚いていた。

「なんでわかった」

 意外そうに聞くので、私はニヤニヤ笑いを浮かべるだけで答えなかった。ささやかな意趣返しだったが、Aの悔しそうな顔が私を満足させた。

 

(つづく)

 

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