オンリー・イエスタデイ 6「好きな子」

 小学3年生になったとき、Aとは別のクラスになり、関係は疎遠になった。

 私の入ったクラスは明るく健康的な児童が多く、野球やドッジボールでよく遊んだ。

 1年生のときに好きになったキクサカエリコも同じクラスだったが、そのころは以前ほど好きでなくなっていた。たぶん、彼女が私に好意を示さなかったからだろう。

それでもたまに微妙な関係になることはあった。

 教室の学級文庫に海賊の幽霊が出てくる本があり、エリコがその話の恐ろしさを私に語った。私もすぐに読み、いっしょに盛り上がった。海賊は溺れて死んだため、身体が青黒く膨れ上がって、その姿で夜に船室をさまようのだ。その場面が異様に恐ろしく、2人で怖がりながら、同じ感情を共有していることに私は密かな喜びを味わった。

 またある日、何を思ったのか、エリコのほうから私の家で宿題をしたいと言い出した。私に異存があるわけはなく、放課後、家に来た彼女といっしょにプリントの問題を解いた。夕方になって帰るというので、家の近くまで送っていった。その後、さらなる進展があるかと期待したが、何もなかった。こちらから何かすべきだったのかもしれないが、そのときは思いつかなかった。

 エリコは途中で私立の小学校に転校したため、音信不通になった。私が浪人をしているときに一度、駅で出会ったが、そのときは彼女の母親もいっしょだったので、挨拶するだけで終わった。19歳のエリコは女優のように美しく、目のやり場に困るほど胸が大きかった。

 話が逸れるが、エリコとは60歳のときにも再会した。私が地元で講演をしたとき、聴きにきてくれたのだ。相変わらずきれいだった。短い挨拶の間に、彼女は私が小学1年生ではじめて彼女の家に遊びに行ったとき、飼っている犬に手を咬まれた話をした。傷が深かったので、近くの医者に連れて行ってもらった。そう言えば、私は泣きながら、この状況をオイシイと感じたのを思い出した。好きなエリコの犬に咬まれたら、どうしたって、彼女は私に同情せざるを得ないだろうから。

 私がエリコに関心を失ったのは、ほかに好きな子ができたからでもあった。

 ヨシザワトモコというショートカットの背の高い少女だった。今から思うとさほど美人ではなかったが、スポーツウーマンで、走るのもドッジボールも男子より上だった。

 トモコはエリコと仲がよく、いつも2人はいっしょにいた。私は好意の裏返しで、この2人によく意地悪をした。「ババア」と呼んだり、先生に当てられて答えをまちがうと、「アホ」と嘲笑したりである。だから、表面上は敵対関係にあったが、内心ではトモコが好きで好きでたまらなかった。

 今、考えてみても、なぜあれほど好きになったのかわからない。目はやや吊り上がり、鼻も唇も特に形がいいわけではなかった。それでもトモコのことがいつも頭にあり、教室でも廊下でも運動場でも、常にトモコの姿を追い求めた。

 そのころ私はカブスカウトに入っていて、夏に蒜山高原で行われた泊まりがけの活動に参加した。重いリュックを担いで、炎天下の田舎道をかなり歩かなければならなかった。暑くて、苦しくて、何度も音を上げかけた。みんなからも遅れ、もうダメだとへたりそうになったとき、ふいに目の前の青空に、トモコとエリコの巨大な幻影が現れた。

 キャハハハ。K君、ダメね。

 2人が空から私を見下ろして、嗤っているように思えた。すると俄然力が湧いて、私は前のグループに追いつき、そのまま宿営地までたどり着くことができた。あの力はどこから出たのか。

 トモコのことを思うあまり、私は家で使っていた国語辞典の表紙裏に、マジックインキで彼女の名前をいくつも書いた。名前を書くだけで胸が締めつけられるようだった。はっと気づくと、表紙裏が彼女の名前でいっぱいになっている。これはまずいと思い、私は表紙裏を塗りつぶすほどに丸や斜めの線を引きまくった。

 ところが、母がその表紙裏を見て、嘲笑うように言った。

「何て書いてあるか、丸わかりよ」

 私は恥ずかしくて、その辞典を本棚の奥に隠し、二度と使わないようにした。

(つづく)

 

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