3年生の同じクラスに、フカヤヒロシというガキ大将がいた。私は長い間、このフカヤに脅迫され続けた。
私がフカヤに逆らうと、「アレを言うぞ」と脅されたのだ。その一言で私は負け犬同然に尻尾を巻かざるを得なかった。
発端は3年生の夏に行われたプールでの授業だった。当時、小学校にはプールがなく、近くの浜寺プールに出かけて行った。授業と言っても半分、遊びのようなもので、児童たちは水をかけ合ったり、追いかけ合いをしたりしていた。
水から上がる指示が出たとき、私はふざけてヨシザワトモコの腰に手をまわして、バタ足の練習のようなことをした。もちろん、トモコが好きだったからそうしたわけだが、顔は水に浸けていたし、最後尾だったので、トモコにもほかの児童にも見破られないと思っていた。
ところが後日、フカヤに呼び出され、「おまえ、プールでヨシザワに抱きついたやろ」と言われた。今なら平気で否定するところだが、そのときは顔が真っ赤になるくらい動揺して、「だれにも言わんといて」とあっさり罪状を認めてしまった。
9歳の年齢で女の子に抱きつくなどということは、バレたら万死に値するほど恥ずかしいことだった。同じクラスにスミタという少年がいて、彼が私より先に似たようなことをして、みんなから「エッチ」と呼ばれ、軽蔑されていた。
私はそんな目に遭いたくない。さらに、もしトモコに知られたら決定的に嫌われてしまうという恐怖もあった。だから、フカヤに「アレを言うぞ」と言われると、「あーっ、ゴメンゴメン。何でも言うこと聞く」と、降参せざるを得なかったのだ。
しかし、今から思うと、フカヤにそれを教えたのはトモコ以外にはあり得ず、彼女に知られることをあれほど恐れる必要は、実はまったくなかった。
当時、フカヤの権力は強く、遊びを仕切ることも少なくなかった。
あるとき、彼は“追いかけごっこ”という遊びを考案した。男子と女子が2チームに分かれて、ただ追いかけ合いをするだけだが、相手を捕まえるときに必然的に生じるボディタッチが、隠微なエロティシズムを感じさせ、私を強烈に惹きつけた。
だが、どういうわけか、私ははじめに参加しそびれた。一度、参加しそびれると、次も入りにくい。放課後、トモコを含むグループが追いかけごっこを楽しんでいるのを横目で見ながら、私は寂しく帰宅した。
雨の日、校舎の中で追いかけごっこをやることになり、その参加者をフカヤが決めると言いだした。新規参入のチャンスだ。私はほかの参加者といっしょに壁際に並び、フカヤの判断を待った。おまえはアカンと言われたら、それで終わりだ。私は緊張したが、意外にもフカヤは私をほぼノーチェックでパスさせた。
彼がこだわったのはスミタだった。
「おまえはどうしょうかな。女子にヤラシイことをすんなよ。それやったら入れたる」
「せえへんよ」
スミタは不本意そうに言い返したが、服従の姿勢は変えなかった。
いったん参加すると、次からは堂々とメンバーに入れる。しかし、フカヤにダメ出しをされると参加できなくなるので、私はトモコを追いかけたかったが、常にフカヤの目を気にして、行動を自粛した。
フカヤはずっと私の天敵だったが、あるとき、それが解消した。4年生の終わりに実施された共通テストで、私が算数で100点を取ったからだ。それ以後、彼は私に「アレを言うぞ」とは言わなくなった。
5年生の組替えでフカヤとは別のクラスになった。それでも、私はなんとなく畏怖を覚え続けた。
6年生の終わりに彼は引っ越しして、別の中学校に進み、顔を合わすこともなくなった。ヤレヤレだ。それからフカヤとは一度も会っていない。
トモコも私立中学に進んだので、離れ離れになった。高校のとき一度だけ電車の中で見かけたが、言葉を交わすこともなかった。ただ、むかしを思い出して懐かしい気持ちになった。
その後、トモコは白血病になり、20歳になる前に亡くなった。
(つづく)