オンリー・イエスタデイ 13「激情」

 中学2年生になって、Aと私は5年ぶりに同じクラスになった。

 その少し前から、男子の間で戦車の模型を作ることが流行っていた。当時、田宮模型が精巧なプラモデルを出していて、ただ組み立てるだけでなく、実車の写真を見て塗装したり、型式を改造したりしていた。人気があったのは第2次世界大戦中のドイツ軍戦車だった。私もⅢ号突撃砲(模型名「ハーケンクロイツ」)や、Ⅴ号戦車(通称「パンター」)、Ⅵ号戦車(通称「ティーゲルⅠ型」)などを買って、資料写真を見ながらパテでツィメリット・コーティング(磁気地雷を防ぐためのコーティング)を施したり、ハンダごてで穴を開けて砲弾が貫通した痕を再現したりした。

 Aも戦車ファンで、Ⅴ号突撃砲(模型名「ロンメル」通称「ヤークトパンター」)を持っていた。彼は何台も集めるのではなく、一台をじっくり改造していた。「ロンメル」も模型で出ていたのは後期型で、主砲を囲む装甲が角張っていたのを、前期型の丸みのある楕円形に造り替えていた。さらには、車体牽引時にワイヤーをつなぐ「シャックル」という部品も、模型の型押し部分を削りと取って、プラ板から自作し、実車同様に取り外しができるようにもしていた。そういう改造で、Aのロンメル戦車はこの世に1台しかないモデル感があり、何度見せてもらっても見飽きなかった。

 私は戦車の改造にも興味を持っていたが、モーターで走らせることにも楽しみを感じていた。田宮の模型にはモーターが1個で前進と後進ができる「シングル」と、モーターが2個で左右のキャタピラを別々に動かして、右折、左折、回転もできる「リモコン」の2種類があり、私はいつもリモコンを買っていた。そして、部屋の中で走らせたり、ときに原っぱで走行させて実戦の場面に思いを馳せたりしていた。

 ところが、Aはシングルしか買わず、しかも、モーターを組み込まなかった。走らせるのではなく、改造そのものを愉しんでいたのだ。彼はそれを「ディスプレイ」と言い、Aと同じ愉しみ方をしている友だちを、「あいつはマニアや」と賞讃していた。

 そう言われたとき、私は戦車を走らせて遊ぶ自分が、いかに子どもっぽいかということを思い知らされた気がした。

 Aは戦車の資料写真が出ている雑誌などを買っていて、「マニア」の友だちと、年式や型式のちがい、投入された戦線による迷彩のタイプなどを話し合っていた。彼らの会話は専門的かつ高度に聞こえ、私も仲間に入りたいと願った。それで、Aが持っている雑誌などを私も買い集め、彼らに追いつけるよう懸命に知識を集めた。

 余談だが、そのころ田宮模型が「タミヤニュース」というマニア向けの小冊子を発行していて、Aが毎月、購読していたので私も取るようにした。私が買いはじめたのはたしか20号台からで、Aはもう少し早かった。バックナンバーを取り寄せることができ、私は8号を手に入れた。それより前の号は品切れだったが、Aはバックナンバーを利用して、創刊号から持っていた。

 調べてみると、現在もタミヤニュースは50年前とほぼ同じ形で発行されており、201712月に583号が出ていた。その創刊号や1桁台の号は、マニアにとっては垂涎の的ではないか。

 同じクラスの戦車ファンに、スミダという男子がいて、彼も仲間に入りたがっていたが、なんとなく疎外されていた。

 あるとき、スミダがAや私たち数人でしゃべっているときに、何かダジャレのようなことを言った。すると突然、Aが怒って「しょうもないこと言うな」と、いきなりスミダの頭頂部に鉄拳をくらわせた。その怒りのあまりの激しさに、私は唖然とした。Aの拳は中指の節を突き出した凶暴なもので、しかも全身の力を込めたような激しい殴打だった。

 殴られたスミダは、一瞬、何が起こったのかわからないように頭を押さえ、顔をしかめていた。反抗も報復もあり得ないような激しい怒りだった。それが許しがたい行為に向けられたものならまだしも、単なるダジャレに対してだったので私は驚いたのだ。

 殴ったあと、Aは気まずそうにしていたが、その激情は本人にもコントロールできないほど強烈に彼を突き動かしたようだった。

(つづく)

 

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