オンリー・イエスタデイ 14「孤高」

 中学2年生のクラスでは、Aと私とサダという生徒が成績上位だった。前期の代議員を決めるとき、サダと私のほか何人かが立候補して、クラス投票で私が選ばれた。当時の私は代議員に選ばれることに価値を見出していた。

 Aはそういうことに無関心であり、むしろその感覚を軽蔑していた。彼にとっては肩書きや成績よりも、実際的な頭のよしあしが問題だったのだと思う。

 1学期に知能指数を測るテストがあり、結果は各自には知らされなかったが、私はたまたま担任が職員室で話しているのを聞いてしまった。Aの知能指数は148だったので、驚いたと言っていたのだ。

 当時、サダを含め、クラスで勉強ができると目される生徒は、夕食後、午後7時半から自宅学習をする者が多かった。だから、7時からはじまるテレビの番組は見ることができた。中学生にとって共通の話題は重要である。

 あるとき、7時からのマンガの話題で盛り上がったとき、Aだけがそれを知らなかった。

「おまえ、知らんのか」

 だれかが言い、その場にいた者が笑った。みんなが知っていることを、自分だけが知らないのは、少年にとっては屈辱であり、負い目であるはずだ。ところが、Aはその場の全員を見下すように、「フッフーン。俺は7時から勉強してるからな」と言い返したのだ。さも勝ち誇ったように。かつ、マンガなど見てほうけた顔をしているおまえらより、自分のほうが上だといわんばかりに。

 負け惜しみだったのかもしれない。しかし、Aは弱みを見せなかった。私ならきっと動揺して、卑屈にも内容を教えてくれと頼んだにちがいない。

 Aはそのようにいつも超然としていて、スミダの頭を殴ったときのように非情で激しやすい性格だった。

 Aは相変わらず抜群に絵がうまく、勉強もでき、戦車を含むあらゆることに知識が豊富だったので、私は魅力を感じていた。

 ある雨の日、Aとサダと私が並んで廊下を歩いていたとき、Aがふざけて私に膝カックンをした。雨で廊下が濡れていたため、私は足を滑らせ、もんどりうって後ろに倒れた。床の泥でズボンと学生服が汚れた。Aは予想外の事態に、苦笑いしながら「すまん、すまん」と謝った。私に落ち度はないのだから、怒って同等の報復をしても許されたはずだ。ところが、私は怒りもせず、ただ立ち上がって、ハンカチで汚れを拭いただけだった。

Aを恐れたのではない。不思議に腹が立たなかったのだ。これがサダやスミダにされたのだったら、私は即座に報復に出ただろう。しかし、Aに対しては腹が立たなかった。それを今でも不思議に思う。

 一度、私はAに意地悪を仕掛けたことがある。ここに明かすのも恥ずかしいが、クラスの友だちの性格を5段階評価でランク付けしたのだ。

 私は自分の性格を最高ランクの5に判定した。サダも同じく自己申告で5だと言った。Aは勉強もスポーツもできたが、性格的に問題のあることは、だれもが認めるところだったので、いくら自己申告でも低めの点数を言わざるを得ないだろうと思った。ところが、彼も5だと言った。理由を聞くと、ひとこと「俺好みや」と答えた。

 そのときまで、いい性格とは優しいとか正直とか素直だとか、人を羨まないとかだと思っていた。しかし、その考えに根拠がないことを、Aのひとことで思い知らされた。たとえ多くの人が認めようと、それは単に好みの問題にすぎないからだ。

 Aは周囲の価値観や協調性、仲間意識などとはまるで無縁に生きていた。私はその個性に感心し、精神の強さを羨望した。

 2学期の中ごろに、後期の代議員を決める選挙があった。前期次点だったサダが有力視されていた。サダも代議員になることに価値を見出すふつうの中学生だった。投票日の朝、立候補する気のないAに、私は「サダが代議員になれそうで浮かれてるぞ」と伝えた。

「成績はおまえのほうが上やから、立候補すべきとちがうか」

 そう言うと、Aは投票の直前に立候補を表明し、投票の結果、彼が選ばれた。サダは悔しがったが、どうにもならない。私はあとでサダに申し訳ないことをしたと反省した。

(つづく)

 

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