オンリー・イエスタデイ 17「激情2」

 中学2年生のクラスでは、いちばん成績のよかったのはAで、次が私、三番手がサダだった。定期テストのあと、答案が返ってきたらよくこの3人で点数を見せ合っていた。

 社会のテストを返すとき、先生がこのクラスでは100点は1人だったと告げた。休み時間になると、Aは余裕の態度で、半ば謙虚ささえ装って答案を披露した。誤字がひとつあって99点だった。クラスには社会でいつも高得点を取る女子がいたので、Aは彼女が100点だと踏んでいたのだろう。ところが、このときはたまたま私が100点だった。

  私が答案を見せると、Aは「あっ」と声を上げ、大失策をやらかしたように恥じ入った表情を浮かべた。不機嫌になったり、いつもの侮蔑的な冷笑を浮かべたりすることもなかった。彼は1年の途中でクラブをやめていたので、サッカー部を続けながら自分に拮抗する成績を取る私を、公正に評価していたのだろう。

  その代わり、成績の悪い者には、Aは容赦のない皮肉や罵倒を浴びせた。後期に彼が代議員を務めているとき、自習の時間があり、生徒たちがガヤガヤと騒いでいた。まじめに勉強をしている者もいて、しゃべっている連中に迷惑そうな顔をしていた。しかし、だれも注意しない。Aも騒がしい連中を完全に無視して自習に励んでいた。私は代議員が静かにさせるべきだろうと思って、Aに声をかけた。

 「おまえが注意せなあかんやろ」

  すると、Aは怒りのために頬を蒼白にし、声を震わせて言い捨てた。

 「自習のときに騒ぐようなヤツのことは知らん。アイツらアホのくせして、静かにすることもできんのや」

  恐ろしいほどの憤激だった。成績がトップの者が下位の生徒をアホ呼ばわりすると、それは冗談でなくなり、ときに恨みさえ買いかねない。当時は優等生が不良に殴られることもあったので、私は不安を覚えた。さらに教師からは、いくら勉強ができてもそれを鼻にかけてはいけないとか、人間は謙虚でなければいけないとかも教えられていた。私はそれを素直に守っていたが、Aはそんな教えが陳腐で何の意味もないことを、早くから確信していたのだろう。

  Aが日直のときにも、その怒りの激しさに驚かされることがある。

  日直の当番として、昼休みに配られる牛乳を教室に運んで来るという役目があった。日直は2人いて、クラス全員分の牛乳の入ったケースを2人で運ぶのである。ところがその日、Aの相方が当番を忘れてどこかへ行ってしまった。Aは仕方なく1人で牛乳を取りに行った。ケースは重いので、そうとう疲れたようだった。

  教室にもどると、Aの相方は友だちと机を合わせて、先に弁当を食べていた。Aは教壇に牛乳を置くや、相方に向かって行き、いきなり耳をつかんで後ろに引き倒した。相方は大きな音とともに仰向けにひっくり返った。

  どう見てもやりすぎの報復だ。相方は驚いたようだが、Aの怒りがあまりに凄まじいので、耳を押さえながら、「すまん」と謝った。それでもAの怒りは収まらず、横の机を蹴り飛ばした。

  Aは自分より成績が悪く、運動能力も劣り、精神的にも未熟な者が、当番を忘れて自分に重い労役を強いたことに、許しがたい怒りを抱いたのだろう。相手を露骨に軽蔑していた証拠だ。

  Aの周囲に対する侮蔑、怒り、憎悪の激しさは何に由来するのか。それは彼の極端な個性によるものだと思っていた。しかし、長じて彼がふつうの人間になってしまったことを思うと、私は不安になる。その強烈な才能は幻だったのか、と。

 (つづく)

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