オンリー・イエスタデイ 19「進学校」

 中学3年生のとき、私はAとはクラスが別だったので、ふだんはあまり話す機会がなかった。高校受験が近づいたある日、朝礼が終わって教室にもどるとき、たまたまAといっしょになった。Aも私も府立の進学校を受験する予定だった。私は模擬試験ではいつも合格圏内の点数だったので、受験勉強はまじめにやったが、合否についてはさほど気にしていなかった。

「もうじき受験やな」

 私が言うと、Aはまじめな調子で「心配やねぇ」と言った。彼は私より常にいい成績だったので、そんな不安そうなことを言うのが意外だった。

 高校への願書の提出は、放課後に各自で行うことになっていた。その日、私はAとほか2人の級友の4人で高校に向かった。事務室に願書を出すとき、たまたまAが先頭にいたのに、彼は最初に出すのをいやがり、私に先に提出させた。そして、最後になるのも避けるように3番目に出した。

 受験を心配したり、願書を出す順番にこだわったりするのは、いつも傲然と構えているAには似つかわしくない弱気に思えた。

 高校にはAも私も合格した。1年のクラスはとなり同士だった。最初の中間テストで、私はクラスで45人中22番という成績だった。中学校ではたいてい全校で1桁前半の席次だったので、この順位はショックだった。しかし、この高校には市内の優秀な生徒が集まっているのだから、そういうものなのかと自分を納得させた。Aも同じくらいの順位だろうと思ったら、彼はとなりのクラスで1番だった。この差はどこから来るのか。

 私は中学のときのように教科書でしか勉強しなかったので、成績が振るわなかったことに気づき、次のテストからは参考書の問題も解くようにした。クラブはサッカー部に入り、放課後は3時間ほど練習をした。中学のときとはちがい、厳しい先輩にシゴかれたので、帰宅したらヘトヘトだった。それでも1日に5時間の自宅学習を目標にして、必死に努力した。夕食を摂ると眠くなるので、帰宅後すぐに2時間ほど仮眠して、そのあとで夕食を摂ってから夜中の2時ごろまで勉強したり、夕食後に仮眠して午後10時に起き、午前3時まで勉強したり、あるいは夕食後に勉強せずに寝て、午前2時ごろ起きて朝まで頑張ったりした。

 使う参考書も、クラスの成績のいい生徒に教えてもらったり、彼らが紀伊國屋書店に買いに行くときにいっしょに行ったりして、難易度の高いものに挑戦した。

 努力の甲斐あって、成績は順調に上がり、2学期の後半にはクラスで3番くらいになった。これでAとも肩を並べられると思ったが、逆にAの成績は急激に下降し、クラスの後ろから数えたほうが早い位置に甘んじるようになった。それでもAはまったく焦りも悩みもしていなかった。

 その秘密を、私は久しぶりにAの家に遊びに行って知った。

 彼の部屋のベッドの枕元に、数十冊の文庫本が整然と並べられていたのだ。当時の文庫本は今のようにカラフルなカバーではなく、肌色の表紙にパラフィン紙をかぶせたものだった。ロシア文学やドイツ文学が主で、ほとんど私の知らない作家のものばかりだった。

 Aは夏休みにトルストイの『戦争と平和』を読んで感動し、それから勉強はそっちのけで、ロシア文学をはじめとする小説に耽溺するようになったのだ。

(つづく)

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