オンリー・イエスタデイ39「覚醒」

 医師になって医学の研究に勤しみ、難病の治療を開発して、多くの患者を救いたいという私の初志は、ドグマの発見によって完全に意義を失ってしまった。

 それどころか、世間的に立派と評される目標が、何の深みもない浅はかなものに思え、嫌悪さえ抱くようになった。そういうものを単純に評価する無自覚で、欲の深い人間の感覚を、私は激しく憎悪した。

 医学上の大発見も、スポーツの大記録も、ビジネスでの大成功も、相対的な価値はあっても、絶対的な価値はない。なぜなら、それらはいずれも単に欲望が作り出した結果にすぎないからだ。

 すべての営為は“欲”を原動力としている点で同等であるというドグマから観れば、一般に“よい”とされることは、相対的に評価されすぎであり、逆に“悪い”とされるものは貶められていることになる。だから、17歳の私は、世間的に評価されるものに嫌悪を抱き、忌避されるものに共感するようになった。

 前者は、たとえば平和とか平等とか親切、博愛や健康などで、それらはありがたいが、単に自分の利益につながっているにすぎないのだから、評価に値しない。それを評価するのは、利己主義であり、浅薄なご都合主義である。

 後者は、悪意や堕落、狡猾や卑劣、好色などで、人間として恥ずべきことのように思われるが、それは単に多くの人にとって不都合なだけで、絶対的な悪ではない。

 そのように考える私に対し、Aはもっと深く、形而上学的に“世界”を把握していた。私はデカルトの方法的懐疑で止まっていたが、Aはカントの認識論、ショーペンハウエルの厭世哲学、ヘーゲルの弁証法、ニーチェの虚無思想、サルトルの実存主義、ヴィットゲンシュタインの論理哲学などを吸収し、会話の端々にその知性を閃かせた。

 たとえば、カミュの『異邦人』についてはこう語った。

「人間をニワトリにたとえたら、ムルソーは、みんなが大事に温めている卵が、実は殻だけで、空っぽであるということを身をもって提示したんや。だから、メンドリたちは怒って、寄ってたかってムルソーを断頭台に送った。それは結局、みんなが信じていること(母親が死んだら厳粛にしていなければならない、とか)が、本質的に何の意味もないことを、人々に突きつけたということや」

 その解釈は、私のドグマなどよりはるかに恐ろしいものに思えた。あなたが温めている卵(平和、健康、安全、家族、幸福など)が、実は空っぽの卵だとわかったらどうだろう(その価値を信じて疑わない人には、何のことやらわからないだろうが……)。

 すべての価値を否定するAの前で、私はどのように生きていけばいいのか。Aにはとても相談できない悩みだった。私は彼のように虚無に徹することはできない。A同様、すべての価値を否定しつつも、何かよりどころを求めるというアンビヴァレントな状態に陥っていた。

 そんなとき、転機はふいに訪れた。

 高校2年生の10月9日。中間テストの準備で、物理の勉強をしようと机に向かっていたときのことだ。突然、目の前に小説の場面が浮かび、長大な絵巻物のように展開して、自分では止めることができなくなった。次々と場面が変わり、登場人物が入れ替わり、勝手にセリフをしゃべって物語を動かす。勉強にもどろうとしても、新たな場面がどんどん浮かんで、私を興奮させた。

 たしかにそれは小説の場面だった。頭の中に現出した世界で、人物が動き、物語が展開し、のっぴきならない状況が発生する。あんなことがあり、こんなことが起こり、思いがけない事態が発生し、あっと驚く局面を迎える。自ら登場人物に同化して、架空の世界に圧倒される。刹那の忘我、全身を覆う雷撃のような恍惚。それはまさしく小説を作るときの憑依的な感動にちがいなかった。

 内容は、今ではおぼろげにしか覚えていないが、自分と同年代の主人公が、Aそっくりの友人や女性、親や教師との関わりに葛藤し、恐ろしい事件(ラスコーリニコフの老婆殺害のような)を起こし、その状況に翻弄され、悩むというものだった。

 勉強も手に着かないまま、夜更けまでめくるめく幻影に身を任せ、興奮した一夜をすごしたあと、私ははっきりと自覚した。

 自分は小説家になる。

 17歳で突如、湧き上がったその思いに、もちろん絶対的な価値はない。だが、魔的なほどの強烈さで訪れた確信は、以後、私がデビューするまでの長い年月の間、1日たりとも弱まることはなかった。

(つづく)

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