オンリー・イエスタデイ42「告白・後編」

 Aが私以外の連中と親しくし、酒まで飲み、あまつさえ電話で女子に告白をするなどという“ヴァルガー”な行動に出たことで、私はプライドを傷つけられ、Aに対する信頼は大いに損なわれた。

 部屋を出た私は、たまたま出会ったクラスの優等生に声をかけ、彼の部屋に行って、無理やり話題を見つけて楽しくしゃべった。それはAに対する面当ての気持からだった。気のいい優等生は、それまでほとんど話したことのない私が近づいたことに驚きながらも、快く受け入れてくれた。

 しばらくたわいもない話をしたあと、私はその優等生を女子の部屋に誘った。彼は最初、尻込みをしていたが、私が昨夜も忍び込んだから大丈夫と言うと、好奇心が湧いたらしく、侵入に同意した。

 この日、女子の部屋は2階だったので、窓からではなく、堂々と扉をノックした。開けたのは、昨夜、私を「マリモちゃん」と呼んだ女子だった。

「また来たん?」

 あきれながらも、顔は歓迎していた。Aの代わりに優等生がいっしょだったことも、彼女たちには新鮮だったようだ。すでに消灯時間がすぎていたので、部屋の中は薄暗かったが、昨夜の女子3人と、私と優等生の5人で車座になり、トランプ遊びをはじめた。リョウコとカオリは部屋の奥にいて、何やら話し込んでいたが、私は顔を見るのもいやだったので背を向けていた。どういうわけか、ミキはその場にいなかった。

 トランプをやろうと言いだしたのは私だ。Aに対して、「目には目を」ではないが、“ヴァルガー”には“ヴァルガー”をという気持だった。だから、ことさらはしゃいで、場を盛り上げた。奥にいるカオリたちへの当てつけの気持もあった。

 私は2人の存在を背中に感じながら、カオリの胸の内を類推した。Aは個性的ではあるが、ハンサムとは言えないから、美人で凡庸なカオリは、きっとAの告白を受け入れないだろう。しかし、昨夜と今日、親しくしたから、無下に断るのもためらわれて、それでリョウコに相談しているのだろう。馬鹿馬鹿しい。カオリもリョウコもAのほんとうの冷酷さを知らないのだ。もしもAが断る立場なら、相手の気持など一顧だにせず、冷ややかにNoを突きつけるに決まっている。

 下らないと思っていたトランプも、妙なこだわりを捨てれば楽しかった。常にしかつめらしいことを考えていた私にも、17歳の無邪気さは残っていたのだ。

 少しすると、見まわりの教師が順に部屋をノックする気配が伝わってきた。私たちは急いでトランプを片付け、布団にもぐり込んだ。身体を反転させて空いた場所で布団をかぶると、リョウコとカオリのすぐそばに寝転ぶ形になってしまった。2人は壁にもたれていたが、教師の見まわりに反応することなく、座ったままでいた。

「早く寝ろよ」

 教師は戸口からそれだけ言って去って行った。しばらく息をひそめていたが、見まわりが終わったらしいと見ると、優等生は「僕はもう帰る」と、部屋を出て行った。トランプをしていた女子たちも、そのまま寝入ったようだった。

 どうしようかと思っていると、リョウコが小声で私を呼んだ。

「K君。ちょっと起きてくれる」

 いったい何の用か。くだらない恋バナ(当時はそんな言葉はなかったが)なら御免だと思ったが、リョウコの声がいやに深刻だったので、布団から這い出した。リョウコの横に座ると、彼女は思いもかけないことを言った。

「A君がカオリに告白しようとしたのは知ってるでしょ。K君がそのとき部屋を出ていったのは、とっても冷たいことやったのよ」

「どういうことや」

 質問に答える前に、リョウコは私のカオリに対する気持を確かめてから、深いため息をついて続けた。

「A君は、K君もカオリが好きにちがいないと思ってたから、2人が1人の女の子を好きになったことで、自分はどうすべきか、ひとりで悩んでいたんよ」

 さっきAが電話をしたとき、受け答えをしたのはカオリではなく、リョウコだったようだ。彼女によれば、Aは私を頼りにしていて、だれよりも信用し、大切な友人と見ていたらしい。だから、よけいにカオリのことで苦悩していたという。

 私はカオリのことは嫌いではなかったが、別段、好きになったわけでもなかった。ただ、いっしょに店を冷やかしたときなど、浮かれた気分になっていたので、カオリに好意を抱いていると思われても仕方のない言動があったのかもしれない。

 Aは私との関係を、夏目漱石の『こころ』に重なると話したらしい。同じ下宿のお嬢さんを、「先生」と「K」という親友2人が同時に好きになり、「先生」が先に告白したため、同宿の「K」が自殺するという話だ。自分が先に告白すると、Aが「先生」の立場になり、私は「K」の役割になってしまうのではないか。たまたま、私のイニシャルがKであることにも、暗示を感じると、Aは話したという。

 カオリもAの気持を聞いて、はしゃぐどころか困惑して、どうすべきか真剣に悩んだらしい。自分では答えを出せず、間に入ったリョウコに泣きながら相談したのだという。

 私は自分の早とちりに驚愕し、Aの気持をまったく理解していなかったことを、激しく後悔した。

 リョウコはさらにカオリの気持も説明してくれた。Aのことは嫌いではないが、付き合うことはできない。なぜなら、ミキが秘かにAに思いを寄せているのを知っているからだ。親友のミキを裏切るようなことはできない。いつも3人でいっしょにいるミキが、このときにかぎって、姿をくらましているのはそういうわけだった。

 この状況は、どう解決することができただろう。私は何も言えず、ただ、「Aに謝ってくる」とだけ言って、自分の部屋にもどった。

 ところが、Aもほかの級友たちも、すでに熟睡していて、声をかけることはできなかった。

 翌日、Aは機嫌が悪かった。私はどう話を切り出していいのかわからず、また、朝にリョウコから、何も言わないほうがいいと釘を刺されたので、謝る機会を失ってしまった。それでもAのそばを離れないようにした。

 Aはいつも以上に目につくものを口汚く罵り、その俗っぽさを侮蔑した。景色を説明するバスガイドに舌打ちをしたり、休憩時に広場のベンチを蹴り倒したりもした。しかし、前夜の告白や、私が部屋を出て行ったことなどには、いっさい触れなかった。

 大阪へ帰る夜行列車の中で、AはいつものAにもどり、翌朝、大阪駅に着いて解散したあとは、私を「マリモちゃん」と呼んだシニカルな女子のグループといっしょに、喫茶店に行きもした。

 私はできるだけこれまで通りに振舞ったが、リョウコの打ち明け話に、不穏な、あるいは申し訳ないような動揺を感じ続けていた。Aが私に道を譲ったり、判断を尊重したりするのは、単に『悪霊』のピョートルを模しただけでなく、本心から私を大切に思ってくれていたからだ。知識も才能も冷厳さも、私などよりはるかに勝っているはずのAが、なぜ私を上位に置くのか。

 もしかしたら、私がAに見てきた強烈な個性は、自分が勝手に作り上げた幻想ではないのか。ふとよぎった疑問に、私は得体の知れない不安を感じた。

(つづく)

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