オンリー・イエスタデイ43「慢心」

 私がAに感じていた特異な個性が、幻想だったとすれば、私はなぜそのようなものを求めたのか。どうしてそんな架空の憧れめいた意識を持とうとしたのか。まったく心当たりはない。

 もしかして逆に、Aが私の幻想を維持するために、私のイメージに合うAを演じてくれていたのか。いや、彼にそんなことをする必然性はどこにもない。

 修学旅行から帰ったあと、私は級友から旅行中の写真をもらったり、親しくなった優等生や女子たちと楽しくしゃべったりしたが、和やかな雰囲気は1週間ほどで消え去り、すぐまたもとの気むずかしい存在になった。

 同様に、AもまたもとのAらしい日常にもどった。カオリへの告白はもちろん、女子の部屋に侵入したことも、いや、修学旅行そのものがなかったかのように話題にしなかった。相変わらず、私など足元にも及ばない読書量で、哲学的な洞察や、箴言めいた発言も健在だった。

 絵のうまさも抜群で、美術の時間にやった石膏像のデッサンでは、常に最高の評価を得ていたし、授業中に机に描かれる教師の似顔絵や、第二次世界大戦中のドイツ兵、ドストエフスキーの小説の登場人物などの落書きは、いずれもすばらしくリアルで、保存できないのが惜しいくらいだった。

 小説の面白みを語る巧みさも相変わらずで、チェーホフの「黒衣の僧」について、彼はこう語った。

「主人公が苦境に陥ると、どこからともなく黒衣の僧が現れて、おまえは選ばれし者だと告げるんや。召命というやつやな。神に召されるという意味や」

 そう聞くと、私は自分の前にもいつか黒衣の僧が現れるのではないかという気がして、得も言われぬ妙な気分になった。

 カフカの「城」も、私が読みあぐねていると、Aが「測量士Kの2人の助手は、まるで動物みたいに振舞うやろ。仕事の最中に犬のようにふざけあったりして」と言ったので、一気に面白さがわかり、続けて読み通すことができた。

 映画の鑑賞眼もずば抜けていて、たとえば『チャップリンの独裁者』を観たあと、彼は身振りを交えてこう説明した。

「チャップリン扮するヒンケルが、ナチス式の敬礼をするとき、手首をクニャっと曲げてから、右腕を伸ばすんや」

 映画を観ると、言われなければわからないほど微妙な動きだったが、たしかにチャップリンはその仕草で、ヒットラーの敬礼を揶揄していた。ほかにも、ゲッペルスをモデルにした宣伝相「ガービッジ」の名前は、「ゴミ」の意味だとか、ゲーリングをモデルにした「ヘリング」のファーストネームが「ビスマルク」で、ムッソリーニをモデルにした「ナッパローニ」はナポレオンをかけているのは、権力者を嘲笑しているという解説なども、私を感心させた。

 やはり、Aの知識は半端ではないし、洞察力はとうてい私の及ぶところではなかった。修学旅行中に打ち明けたカオリへの思いは、一時の気の迷いにすぎないのだろう。彼はまちがいなく飛びぬけて個性的で孤高の存在なのだ。私はそう思うことで、心の安定を取りもどした。

 そのAに対抗するために、私が胸に抱いていたのは、例のドグマ(欲の一元論)と、小説家になるという秘かな志の2つだった。Aは素晴らしいが、私だって負けてはいない。そう勘ちがいする出来事が、高校2年生の後半に起こった。

 修学旅行明けの定期テストで、私が嫌悪していた教師のタルイが担当していた数学Aと、数学Bの2教科で、クラスで私1人だけが両方とも満点を取ったのだ。それまでの恒例で、満点の者を発表していたタルイは、不本意ながら私の名前を読み上げないわけにはいかなかった。その声には戸惑いと不愉快さが滲んでいた。それはそうだろう。自分への反発を露骨に示す反逆児をほめざるを得なかったのだから。私は仇敵に痛烈な一矢を報いた気分で、鼻高々だった。

 さらに、3学期に行われた校内模試で、私ははじめて学年で20位という成績を取り、職員室の前に名前が張り出された。

 1年生の3学期に、クラブをやめてまで勉強に打ち込んでも成績が伸びなかったのに、クラブに復帰して、小説に目覚め、本ばかり読んでいたにもかかわらず、予想外の好成績を挙げたのだ。勉強時間が減ったのに、成績が上る。いったい、どうなっているのか。この状況に整合性を与える解釈はひとつだった。

 ──俺は頭がいいんや。

 そう自認することは、うっとりするほどの快感だった。素晴らしい予定調和のように思えた。未来が保証されたのも同然の気分になった。

 この慢心が、あとで惨めな苦境につながることなど、そのときの私には知る由もなかった。

(つづく)

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