いくら現実から目を背けていても、時間を止めることはできない。
受験の日がどんどん近づいてきて、ヴァルガーとかコム・イル・フォーとか、戯言を言ってはいられなくなった。
それでも、私は受験勉強を嫌悪し、まじめに授業を受けている級友たちを憎悪し、軽蔑していた。それが自分を支えるよすがだった。わかり合える相手はAしかいない。そう思って、Aに手紙を書きはじめた。陰鬱で難解で晦渋な長文の手紙を書くと、Aも即座に返事をくれた。私以上に深淵で高踏的な内容だった。すぐまたそれに返事を書く。こうして、何通もやり取りをした。学校で顔を合わせても、手紙のことはいっさい触れないのが、暗黙の了解だった。
さらに気晴らしと称して、それまで触れたこともなかった自宅のピアノの前に座った。友人がシューマンの「トロイメライ」を弾くのを聴いて、私もベートーヴェンの「エリーゼのために」を弾こうと思い立ったのだ。譜面をにらみながら、はじめはたどたどしい弾き方だったが、何度も何度も同じパートを繰り返すと、曲がりなりにも弾けるようになる。それに力を得て、文字通り1小節ずつ進み、ついには右手でタラリラリラリと降りてくるところまで含め、全曲をマスターした。
そのためにいったいどれほど時間を浪費したことか。
2年生の後半に、勉強時間が減ったのに成績が上がったので、3年生になってチョイと本気になれば、簡単に志望校の合格圏内に入ると楽観していた。ところが、チョイとどころか、かなり本気になっても、成績は下がる一方だった。青くなって、束の間、心を入れ替えるが、次の模試ではさらに順位が下がる。このどうしようもない現実に、私の全身を駆け巡ったのは、激しい怒りだった。
なんでやねん!
私は毎日、思い通りにならない現実に苛立ち、憤り、悔しい思いにまみれていた。その怒りの火に油を注いだのが、クラスの中心グループの躍進である。まじめに勉強しているヤツらが、着実に成績を上げていく。これほど理不尽で、愚劣で、受け入れがたいことはなかった。
水木しげるの『劇画ヒットラー』に、こんな場面がある。ウィーンの美術学校の受験に2度失敗した若きヒットラーが、自分を不合格にした教師を呪いながら怒りをぶちまけるシーンだ。
──この芸術的大天才が、いまやウィーンに埋没しようとしているではなか!
私の心境は、これと同じだった。
当時の日記を開くと、凄まじい呪いの言葉が噴き出してくる。
──もういやだ。絶対に我慢できぬ。糞の役にも立たないバカな自分……。人殺し。死刑執行人め。世界の人間すべてに思い切りいやな思いをさせて死んでやる。……皆死ね! 皆くたばれ! 皆銃殺してやる! 呪ってやる! 無知、盲目、無理解。愚鈍集団。世間は多くの劣等愚者に優等生というレッテルを貼っている。I hate the whole world !!
クラスの中心グループで医学部を目指していた連中は、夏休みに予備校の夏季講習を受けると言っていた。予備校は浪人生が行くものと思っていたので、奇異な感じがした。私も興味を惹かれたが、彼らが行こうとしていたYMCAの「土佐堀」校を、私が「ドサボリ」と読んで失笑されたため、意地でも行くかという気になった。
代わりに、高難度の参考書を買ってきて、彼らがぜったいに知らないであろうナイロンの化学式(試験に出る可能性はゼロ)などを諳んじて、彼らの前で披露したりした。
授業が自習になったときも、まじめな連中が懸命に勉強しているのを嘲笑うように、教室を抜け出し、講堂にあるグランドピアノで唯一弾ける「エリーゼのために」を、猛烈なスピードで繰り返し弾いたりした。それが教室に聞こえるはずもなかったが、そうやって私は憎悪と怒りをピアノにぶつけた。
弾き疲れて、だだっ広いに講堂にひとりいる自分に気づくと、心にフタをしていた不安が、溶鉱炉の鉄のようにあふれ出した。いったい、自分はどうなるのか。受験に失敗し、浪人しても合格せず、行き先が決まらないままになったらどうするのか。何のアテもなく、保障もない状態で生きていけるのか。いくら怒っても、憎んでも、呪っても、だれからも見向きもされない。そんな哀れな人間になってしまうのか。
この不安を抑え込むために、私はAに手紙を書いて幻想にしがみつき、かすかな奇跡に期待するしかなかった。欲の一元論というドグマを探り当て、一夜にして小説家になる志に目ざめた自分には、人智を超えた力が働くはずだと。
それは阿片を吸引するのも同然だった、不安は後方に退き、根拠のない自信が甦って、またぞろまじめな級友を軽蔑し、嘲笑う力が湧いてくる。
いよいよ入試が近づいてきた3学期のある日、私は「放課後は難波で遊んでくる」とうそぶいて、まじめな学生の自転車の後ろに乗せてもらい、駅に向かった。走りながら、相手をさも軽蔑するような言葉をかけた。
「おまえは帰って勉強するんか。なんでそんなに一生懸命勉強するねん」
不愉快そうに押し黙ると思いきや、彼はあっけらかんとこう答えた。
「早よ終わらせて、大学で遊びたいからや」
これには返す言葉がなかった。彼はまじめでも何でもなかった。私以上に功利的だったのだ。
(つづく)